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日本唯一親子三代探偵・行政書士キシワダの調査事件簿~灰色の修業時代~

      2019/04/22

日本唯一、親子三代探偵キシワダの調査事件簿

皆様、ごきげんよう。

日本唯一、親子三代探偵・行政書士キシワダです。

今日は、私が探偵となるきっかけを作った

師匠でもある、我が親父について綴りたいと思います。

今回は第4回。私が修業時代の頃の出来事です。

高校を卒業後、最初に行った事は、免許取得でした。

田舎の探偵は、運転免許証が無いと、陸に上がった河童

教習所単位を落としたら、給料から差っ引く。と言われました。

??。親父は何を言ってるのか、私は理解できませんでした。

4月1日。一応親父の会社に就職したという形で、

毎月給料を渡す形式に帳簿上はなっていましたが、

給料袋を存命中、一度ももらったことが有りませんでした。

「お前はまだ半人前なのに、給料をもらおうとかおこがましい。

 逆に教えてもらって授業料をもらわないといけない位じゃ。

 俺も、爺さん(祖父)から給料をもらった事は無かった。だから

 必要なかろうもん」

強制搾取です。

これが雇用契約なら大問題ですが、師匠と弟子。契約書もありません。

絶対的な上下関係がありますので文句は言えません。

続けざまに、「俺が死んだら、なんもかんも全部お前のものになるんやから、

 我慢っちゅうものをせんといかん。良いやないか、お?

三食食べられて、寝場所もある 車も乗れるし、何をこれ以上望むんや。お?」

なんもかんも。

世はバブル経済真っ只中

後にその言葉が重くのしかかってくるとは、その当時は夢想だにしません。

おまけに、口答えしようものなら竹刀攻撃が待っていますので、逆らえません。

3年間の修業時代が終われば、給料袋を貰えるのかな?とは10代の少年には

甘い考えでした。

酔った勢いで、ナスに棒を刺して、「ほれ、ボーナスじゃ」と言った時には

内心、「ぽっくり死んでくれんかな」と思ったりも・・。w

当時の日課です。

朝は7時半に起床。事務所玄関を隣の玄関まで箒で掃いて、水撒き。

終わった後に、神棚の榊の水替えと綺麗な白布で台を拭き、御神酒と米塩をお供え。

終われば、素手で便所掃除。終わって応接室の掃除。

親父が事務所にやってきて汚れがあろうものなら、もう一度最初からやり直し。

ドキュメンタリー番組でどこかの代紋の事務所の新入り君と同じような事を

10代で経験しておりました…。(笑)

終わって、尾行の練習です。親父を後部座席に乗せ、

「ハイ!あの車を、良いというまで尾行しろ!」

何の関係も無い車を追跡します。途中信号に引っかかろうものなら、容赦なく

運転席シートを蹴られ、

「お前、練習やと油断しとるんか?。この仕事はなぁ、一瞬一瞬に全力を注がんといかんのや!。横断歩道の信号が点滅したら、突っ込まんかい!」

全然関係ない車両がスピードを出す車両なら、カーチェイスです。

「青急げ、黄色上等、赤勝負。わかったな!」

教習所と真逆な事を述べる親父でした。

今では殆どの探偵事務所は車両尾行ならば、GPSを使いますが、(当社もそうです)

当時はガチンコでの尾行調査がメインでしたから、今となっては

あの当時の尾行スキルは難度が高かったと思います。

運転しながらビデオカメラを回し

首に一眼レフカメラをぶら下げて撮影し、マイクロカセットレコーダーで、

「何時何分、××通過。」というように記録をしていました。

日中は練習して、夕方から実践の張り込み・尾行という日々を過ごしていました。

私の給料。ですが、

すべて親父のネオン街の資金に充てられていました。私は、商業高校出身ですので、

親父から

「簿記だけはしっかりと勉強しろ。ウチの会社の経理をやるんやから。

役に立つ日がいつか来る」と言われておりました。

毎月のカード会社から送られてくる明細を見る度に

私の給料がこのクラブの代金かぁ・・。とため息。

確かに、簿記は会社経営には役立ちますし、行政書士事務所を開業してから

記帳業務を引き受けていますので、今思うと、親父の読みは当たったのかもしれません・・。

親父は太く短くをやりたいことはやる!でいくスタイルでしたから、

仕事は私に丸投げして、親父は夜の街に。

その頃携帯電話が普及しだした頃でしたので、

張り込み中に親父から電話が。明らかに後ろで誰か、歌っています。

「どうや?動きはあったんか?」

私、{今の所動きはありません。}

「ほうか。取り敢えず時間まで張り込んどけ。終わったら俺を迎えに来い!」

お抱え運転手です。張り込みが終わり、親父からの電話があるまで、車内で仮眠。

電話があると、繫華街は駐車スペースが無いので有料駐車場に車を入れ、

クラブ(踊る方ではない)まで、お迎えに。

それで、帰るのかと思いきや、「次の店に行くから、一緒についてこい」

勿論、一緒に呑むではありません。

セカンドバッグを持たされて、後ろから親父の後をついていくのです。

金縁眼鏡のパンチパーマ、ダブルのスーツで、後ろに若者にカバンを持たせて、

歓楽街を闊歩するのですから、酔客は道を避ける避けるww。

中にはその関係の方が、「お疲れ様です。」なんて親父に声をかける。

親父は右手を挙げて、「おう。」と挨拶(笑)

後ろに歩く私は、その関係の方に軽く会釈して、親父の姿を見逃さないように(笑)

次の店の入り口までついていきました。

親父が入店してまた、車に戻り仮眠するか、深夜放送のラジオを聞くかの繰り返しでした。

90年代初めのJPOPは、あの修業時代にラジオから頻繁に流れてたので、今でも曲が流れると ふと、口ずさんでしまいます。

最後は、親父の先輩が朝までやっているお好み焼き屋で終了。

酔いつぶれた親父を車に押し込んで、長い一日が終わるというスタイル。

この業務は、当時いつ仕事になるか、わかりませんので、年中無休・日々臨戦態勢。

友人とも疎遠になりました。

中には、私が仕事に出ている間、自宅にかかってきた電話で友人にこう述べたそうです。

「○○君、ウチの息子はな、今修業中で、遊ばせないようにしとるんや。遊びを覚えたら、楽な方~楽な方~にウチの息子は逃げると思う。そうやから、3年は電話を、かけてこんでほしい。修業が終われば、いくらでも遊ばせてやるから」

言行不一致とはこのことです。w

修業時代が明けて、多少は時間も出来るようになりました。

が、皆が遊ぶ時間には仕事でしたし、スケジュール表は真っ黒になるような

夜討ち朝駆け生活でしたので、特定の友人としか、つるむしかなかったような

感じでした。

アウト全開な親父の元で修業時代を積んだので、他の探偵事務所出身の方に、昔、

この事を話した事が有りました。

皆、口をそろえて「良く耐えてこられましたねぇ」と驚かれることばかり。

当時、給料袋を貰っていたら、もっと違った時代を過ごせたのかもしれないですね。(笑)

それでは皆様、今日も良い一日を!

日本唯一親子三代探偵・行政書士 キシワダ

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